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東京地方裁判所 平成6年(ワ)25322号 判決 1996年12月10日

原告

三田晶子

ほか一名

被告

京王帝都電鉄株式会社

主文

一  被告は、原告三田晶子に対し、金二〇万四三一〇円、原告三田千仁に対し、金五〇万円、及びこれらに対する平成七年一月一四日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その四を原告らの負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  被告は、原告三田晶子に対し、金三六三万七三四八円(三七七万九二八六円の内金請求)、原告三田千仁に対し、金一〇〇万円、及びこれらに対する平成七年一月一四日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用の被告の負担及び仮執行宣言

第二事案の概要

一  本件は、路線バスに乗客として搭乗中、負傷した女子及びその母親が、バス会社に対し、損害賠償を請求した事案である。

二  争いのない事実及び証拠上容易に認定できる事実

1  当事者

(一) 原告三田晶子(以下「原告晶子」という。)は、昭和六三年四月一八日訴外三田光明(以下「光明」という。)と婚姻し、長女原告三田千仁(以下「原告千仁」という。同年四月六日生)と次女訴外三田万緒(以下「万緒」という。)を儲けたが、光明は平成三年五月以降原告晶子と別居しており、原告晶子と共同して原告千仁の親権を行使できる状況にない (甲三ないし五、原告晶子本人)。

(二) 被告京王帝都電鉄株式会社(以下「被告会社」という。)は、自動車による一般運輸業等を目的とする会社であり、渋谷駅と新宿駅西口とを結ぶ渋谷線路線バスを運行している。

2  旅客運送契約の締結

原告晶子は、平成四年九月一八日午後四時一二分ころ、被告会社との間で被告会社の従業員である訴外須藤文男(以下「須藤」という。)の運転する新宿駅西口発渋谷駅行きの被告会社永福町営業所所属の渋谷線路線バス(事業用大型乗用自動車。練馬二二か四六二九。以下「本件バス」という。)に代々木三丁目バス停から原告千仁(当時四歳)と万緒を伴い乗車して、旅客運送契約を締結した(甲一〇、一二の4、原告晶子本人)。

三  本件の争点

本件の争点は、被告会社の責任原因と原告らの損害額である。

1  被告会社の責任原因

(一) 原告らの主張

(1) 本件事故の発生

原告千仁は、平成四年九月一八日午後四時過ぎころ、本件バスの進行方向右側後方の二人掛け座席の最前列通路側に座り、原告晶子がその後ろの二人掛け座席の通路側に万緒を抱いて座つていたところ、東京都渋谷区富ケ谷一丁目五番先富ケ谷バス停付近において、本件バスが急停車したため、原告千仁は、その反動で床に放り出されて転倒し、その際、顔面を床に打ち、乳歯早期脱失の傷害を受けた。

(2) 被告会社は、旅客運送人として本件バスを安全に運行すべき注意義務を負い、具体的には、バスの発進、停止を緩徐に行い、急停車をする際は、事前に乗客に対し警告を行い、転倒防止のための措置等をとらせる等の義務があるというべきところ、被告会社の従業員(履行補助者)の須藤は、漫然これを怠り、本件事故を引き起こしたものであるから、被告会社は、商法五九〇条一項に基づき、原告らに生じた損害を賠償すべき責任がある。

(予備的主張)

仮に、そうでないとしても、本件バスは乗客とりわけ幼児のための手すりがなく、急停止の際、その安全を確保できる構造を持たないから、土地工作物の設置に瑕疵があるというべきであり、被告会社は、民法七一七条一項に基づき、原告らに生じた損害を賠償すべき責任がある。

(二) 被告会社の認否及び反論

(1) 本件バスが原告主張の場所において急停車した事実は否認し、被告会社が原告の主張する内容の具体的注意義務を負う点は争う。

(予備的主張に対し)

本件バスが土地の工作物に該当するとの点については争う。然らずとしても、本件バスの座席には手すりが設置されており、その他本件バスの構造がバスとして通常有すべき安全性を欠くものではない。

(2) 須藤は、本件事故当日午後四時二五分ころ、NHK放送センター西口バス停手前でいつたん停止した後、同バス停に停車するため、ゆつくりと発進しようとしたところ、後方で一時的に子供の泣き声がしたのに気づいたが、それ以上に本件事故発生を窺わせる状況はなかつた。

原告晶子は、本件事故直後だけでなく、降車の際にも、須藤に対し、原告千仁の受傷の事実を申告しておらず、さらに、原告晶子が被告会社に対し、本件事故の連絡をしてきたのは、本件事故の六日後であり、本件事故により原告千仁が受傷したとするには疑問がある。

2  原告らの損害額

(一) 原告らの主張

(1) 原告晶子 二六三万七三四八円

<1> 診断書料 四〇六〇円

<2> 治療費 四万七三七八円

<3> 交通費 六二万九五一〇円

原告晶子は、通勤の行き帰りの途中、原告千仁と万緒を保育園に預けていたが、本件事故以後、原告千仁がバスに乗ることをこわがるようになる等したため、原告晶子は、やむなくバス通勤に代えてタクシーを利用することになつたものであり、子連れで出勤していた原告晶子として右タクシー代の支出は避けられなかつた損害である。

<4> 自動車購入費 二九万四一〇四円

その後、タクシー代が高額でその負担に耐えかねたため、原告晶子は、中古自動車を一四七万〇五二〇円で購入した。このうち、五分の一に当たる右金額は、本件事故と相当因果関係のある損害である。

<5> 駐車場代 三四万五〇〇〇円

<6> 休業損害 一二万七二九六円

原告晶子は、原告千仁の通院等のため、勤務先を一二日間欠勤したものであり、原告晶子の休業損害は、一日一万〇六〇八円として、一二日間で右金額となる。

<7> 慰謝料 一〇〇万〇〇〇〇円

<8> 弁護士費用 一九万〇〇〇〇円

(2) 原告千仁(慰謝料) 一〇〇万〇〇〇〇円

原告千仁は、歯の整列保持のため、乳歯用の義歯を入れたが、幼児のため、一人では着脱や洗浄等ができず、保育園においても他の園児から歯が汚いなどとからかわれたうえ、今後も永久歯が出るまでは、食事の制約を受ける等著しい精神的苦痛があり、これを慰謝するには右金額を下らない。

(二) 被告会社の認否及び主張

(1) 原告らの損害額、特に原告晶子の支出の必要性については、争う。

(2) 過失相殺

原告晶子は、四歳の原告千仁を一人で椅子に座らせていたうえ、その後ろの座席に原告晶子が座りながら、原告千仁の肩を押さえ、あるいは、原告千仁をして手すりにつかまらせる等の転落防止のための措置をとらなかつた過失があるから、原告らの損害額を算定するに当たり、原告晶子の右過失を被害者側の過失として斟酌すべきである。

第三争点に対する判断

一  被告会社の責任(本件事故の態様)について

1  前記争いのない事実等に加えて、甲二、九ないし一一、一二の1、2、乙一、二、三の1ないし9、四、五、証人須藤、原告晶子本人、弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 本件バス(車番七〇六。前乗り後降り)は、昭和六二年七月一五日初度登録された被告会社永福町営業所に所属するバスであり、乗務員を除く乗車定員は、座席二六名、立席五四名の八〇名であり、座席は通路を挟んで両側に一人掛けと二人掛けの座席が並んでおり、座席定員は二六名、運転席の後ろ(進行方向右側)には、前向きに一人掛けの座席が八脚あつた後、二人掛けの座席が二脚配置され、さらにその後ろはロングシートの最後部座席となつている。

運転席側の一人掛けの一番後ろの座席(以下「甲席」という。)とその後ろの二人掛けの座席(以下、その通路側を「乙席」という。)は、本件バスの後輪タイヤハウスの上部に位置し、甲席のシート左側には、手すりが設けられている。

本件事故当日の平成四年九月一八日午後四時過ぎの天候は晴れであり、渋谷線の本件バスの渋谷駅方面の交通量はやや多い程度であつた。

(二) 原告晶子は、平成三年五月に夫光明と別居し、本件事故当時、東京都世田谷区深沢二丁目に居住し、渋谷区笹塚一丁目にあつた勤務先に通勤していたが、原告千仁と万緒を保育園に預ける関係から、途中の渋谷駅バス停から代々木三丁目バス停まで被告会社渋谷線のバスを利用していた。

原告晶子は、本件事故当日の午後四時一二分ころ、原告千仁を連れ、万緒をおぶいひもで抱いた状態で代々木三丁目のバス停から本件バスに乗車したところ、当初は空席がなかつたが、次のバス停で甲席が空いたため、原告千仁を座らせ、さらにその後のバス停で乙席が空いたため、原告晶子が着席した。

原告千仁は、甲席に座つている間中、甲席の肘掛けにつかまつていたが、原告晶子が原告千仁にちやんと座つているなどと話し掛けていた際、後ろを向いたり、横を見たりしてこれに答えていた。

原告晶子が座つて数分後、本件バスに振動があり、原告千仁は甲席から前方に転倒し、床面に顔面から衝突した。転倒後、原告千仁が大声で泣き出したため、原告晶子がすぐに原告千仁を抱き起こしたところ、原告千仁は口から出血しており、原告晶子がハンカチで拭いたが、口内が血で赤くなつていてどうなつているかよくわからなかつた。

原告晶子が原告千仁の手当てをしている間、本件バスは止まつており、バスの車内前方にはまだ立つている乗客がいたが、後方には立つたままの乗客はなく、原告千仁が転倒しても、他の乗客の中に原告晶子に手を貸す者はいなかつた。

しばらくして、車内前方の乗客から原告晶子に、大丈夫ですかと運転手が言つていますよという声がしたが、原告晶子は、気が動転してしまつており、何も返答しないでいたところ、本件バスが発進し、間もなく渋谷駅に到着した。

原告晶子は、降車の際、運転席の須藤に対し本件事故の事実を告げないまま、後部降車口から降り、すぐにタクシーを拾つて自宅近くの山田歯科クリニツクに行つて受診した。診察の結果、外傷性打撲による左上A脱落(乳歯喪失)と診断された。

原告晶子は、翌日から欠勤して他院に通院等していたため、被告会社に対する事故による受傷の申告は、同月二四日になつた。

(三) 須藤は、被告会社のバス乗務員として、新宿駅西口から渋谷駅に向かい、本件バスを運転中、突然座席の後方で子供の泣き声が聞こえたため、本件バスを停止させた後、後ろを振り返つて見たが、その際には車内に倒れている人はなく、停車したまま、しばらく運転席で様子をみていたところ、そのうち泣き声も聞こえなくなつたことから、特に異常はないものと判断し、本件バスを発進させた。その間の停車時間は一、二分間であつた。

須藤は、その日はそのまま何事もなく乗務を終えたが、同月二四日原告晶子から被告会社に対し事故の連絡があつたため、被告会社の担当者から本件事故の報告を求められ、本件事故当日、午後四時二五分ころ、NHK放送センター西口バス停において、前車に続きいつたん停車した後、発進しようとしたところ、少しバスが揺れ、子供が泣き出したため、バス停に停車し、後ろを振り向いて大丈夫ですかと声を掛けたが、返事がないので発車した旨報告した。

翌日二五日被告会社の事故係が警視庁代々木警察署に出向いて本件事故の報告をしたが、被告会社から相手方とは誠意をもつて示談等円満に解決したいとの申し出があつたことから、同警察署もあえて関係者の事情聴取や実況見分は実施せず、須藤について刑事事件として処理する手続もとらなかつた。

(四) 本件事故の態様について

右認定事実によれば、原告千仁が本件事故当時、本件バスの車内において前方に転倒した結果、外傷性打撲による左上A脱落(乳歯喪失)の傷害を受けたことは明らかであり(本件事故当時、須藤自身も子供の泣き声を聞いており、須藤は、その後直ちに車内後方を確認したのでもないから、転倒後、原告晶子がすぐに抱き起こしたことにより須藤には転倒した原告千仁が見えなかつたものと推認される。)、本件事故当時、原告千仁の顔面に相当程度の外力が作用したことが認められるところ、本件事故当時、原告千仁は、甲席に着席したうえ、肘掛けにつかまつており、その際、後部の乙席に座つていた原告晶子と話しをしていた点は認められるものの、それ以上に、ことさら危険な態様で着席していた状況は認められず、他に本件事故の際、バス以外の外力等が作用した点も窺われないことからすると、本件事故は須藤の運転操作に起因して発生したものというべきである。

この点、須藤は、本件事故当時、本件バスの急ブレーキを掛けたことはなく、急停車もしていないというが、前記のとおり原告千仁が前方に転倒していること、原告晶子によれば、本件事故当日、本件バスの発進、停止は荒い気がしたとすること等の点に照らすと、その原因は本件バスの停止を生じさせた須藤の制動措置に求められるというべきであり、これを直ちに急停車というかはさておくとしても、他に右認定に反する証拠はない。

なお、原告と須藤との間には、本件事故発生場所、事故発生時の状況等の認識にかなりの差異があるが、前認定事実によれば、本件事故当日、警察による実況見分は行われておらず、須藤は、事故の六日後に至り、被告会社の事故担当者から事故の状況を聞かれて初めてこれを再現したものと見られること、須藤は、本件事故後は運転席から車内の後方を一瞥したにすぎないこと等の事情からすると、その内容が必ずしも正確とはいえず、むしろ本件事故当時、より直接的な状況にあつた原告晶子の供述が概ね信用できるものというべきである。

2  右の事実をもとにすると、被告会社は、旅客運送人として本件バスを安全に運行すべき注意義務を負つているというべきところ、被告会社の従業員(履行補助者)である須藤が、その制動措置の際、漫然とこれを行つたため、本件事故を引き起こしたものというべきであるから、被告会社は、商法五九〇条一項に基づき、原告らに生じた損害を賠償すべき責任がある。

二  原告らの損害額について

1  原告晶子分

(一) 診断書料 四〇六〇円

甲二、九、一三の4、原告晶子本人により認められる。

(二) 治療費 四万六五八〇円

甲一三の2、4、二三の2、3、二四、二五、二九、三一、原告晶子本人によれば、山田歯科クリニツク、日本矯正歯科研究所附属デンタルクリニツク分として右金額が認められるが、その余の治療費の支出については、原告千仁の傷害の部位程度に照らし、本件事故と相当因果関係を認めるに足りず、他に本件事故による受傷のための治療費として被告会社に負担させるべきことを認めるに足りる証拠はない。

(三) 交通費 三万三六七〇円

甲一三の1ないし5、一四の3、4、13ないし15によれば、原告千仁の前記通院治療に要した交通費として、右金額が認められるが、その余の分については、その必要性を認めるに足りる証拠がない。

(四) 自動車購入費 認められない。

原告晶子は、タクシー代の支出に耐え切れず、中古自動車を一四七万〇五二〇円で購入したというのであるが、原告千仁の傷害の部位程度、歯科治療の通院日数に照らし、その支出が本件事故と相当因果関係のある損害として被告会社に負担させるべきことを認めるに足りる的確な証拠はない。

(五) 駐車場代 認められない。

自動車購入費と同様、その支出が本件事故と相当因果関係のある損害として被告会社に負担させるべきことを認めるに足りる証拠はない。

(六) 休業損害(通院付添費用) 六万〇〇〇〇円

原告晶子は、原告千仁の通院等のため、勤務先を一二日間欠勤したことにより、一日一万〇六〇八円として一二日分の休業損害を受けたというのであるが、甲一三の2、4、二三の2、3、二四、二五、二九、三一、原告晶子本人によれば、原告晶子の休業のうち、原告千仁の歯科治療のため、山田歯科クリニツク、日本矯正歯科研究所附属デンタルクリニツクに付添をした六日分については、原告千仁が四歳の幼児であることを考慮し、通院付添費用として一日一万円、六日間で右金額を認めることはできるが、これを原告晶子自身の休業損害と認めるに足りる証拠はない。

(七) 慰謝料 認められない。

本件事故による原告千仁の傷害は、乳歯の脱失にとどまり、同人の死亡に比肩すべき場合その他親権者としての原告晶子自身の慰謝料を認めるに足りる証拠はない。

2  原告千仁分(慰謝料) 五〇万〇〇〇〇円

原告千仁の傷害の部位程度、通院期間、その他本件に顕れた諸般の事情を斟酌すると、原告千仁の慰謝料としては、五〇万円とするのが相当である。

3  過失相殺について

前認定の事実によれば、原告千仁は、本件事故当時四歳であり、事理弁識能力はなかつたものと認められ、原告千仁の損害額を算定するに当たつては原告千仁と身分上、生活関係上一体をなす原告晶子につき、その過失の有無を斟酌すべきところ、原告晶子は、原告千仁を一人で二人掛けの座席に座らせてはいたものの、肘掛けにつかまらせており、その後ろの座席から安全のため、原告晶子が声を掛ける等していたことが認められ、バスの乗客としてことさら危険な態様で乗車していたものとはいえず、過失相殺をしなければ、原告らと被告会社との間の公平を著しく欠くことになるともいえないから、本件においては過失相殺をするのは相当でない。

4  弁護士費用

本件事案の内容、審理経過及び認容額、その他諸般の事情を総合すれば、原告晶子の本件訴訟追行に要した弁護士費用としては六万円と認めるのが相当である。

5  認容額

(一) 原告晶子 二〇万四三一〇円

(二) 原告千仁 五〇万〇〇〇〇円

第四結語

以上によれば、原告らの本件請求は、原告晶子につき二〇万四三一〇円、原告千仁につき五〇万円、及びこれらに対する訴状送達の日の翌日である平成七年一月一四日から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 河田泰常)

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